ミッドセンチュリーデザインの輝かしい星の一つ、エーロ・サーリネン。
彼が手掛けた建築や家具は、今もなお色褪せることなく、私たちを魅了し続けています。
中でも、まるで優雅な花が咲き誇るかのような「チューリップチェア」とそのシリーズは、デザイン史における金字塔と言えるでしょう。

サーリネンがこの椅子に込めたのは、単なる美しさだけではありませんでした。
それは、従来の家具デザインの常識を覆し、「椅子の下にあるスラム(ごちゃごちゃした脚の森)をなくしたい」という強い意志から生まれた、「一つの脚」への飽くなき挑戦の物語でした。
この記事では、エーロ・サーリネンのデザイン哲学を紐解きながら、チューリップチェアの有機的で未来的なフォルムがどのようにして生まれ、それを実現するためにどのような素材と技術が駆使されたのか、その魅力の核心に迫ります。
1. エーロ・サーリネンとは?建築と家具デザインの巨匠


エーロ・サーリネン(Eero Saarinen, 1910-1961)は、20世紀を代表する建築家であり、家具デザイナーです。
フィンランドのキルッコヌンミで、著名な建築家であった父エリエル・サーリネンと、テキスタイルデザイナーであった母ロイア・ゲセリウスのもとに生まれました。



芸術的才能に溢れた家庭環境は、若きエーロの感性を育む上で大きな影響を与えました。
ここで彼は、生涯の友でありライバルともなるチャールズ・イームズや、後にイームズの妻となるレイ・カイザー(レイ・イームズ)と出会い、互いに刺激し合いながら才能を開花させていきました。
(イームズ夫妻については、関連記事「デザイン界の巨匠!チャールズ&レイ・イームズの世界:その功績と代表作」もご参照ください。)





サーリネンの建築は、ダイナミックな曲線を用いた有機的なフォルムと、構造そのものが持つ美しさを大胆に表現するスタイルで知られています。
代表作には
ニューヨークの「ジョン・F・ケネディ国際空港TWAフライトセンター(TWAターミナル)」




セントルイスの「ゲートウェイ・アーチ」


ワシントンD.C.の「ダレス国際空港ターミナルビル」


などがあり、いずれも未来的な感覚と彫刻的な美しさを兼ね備えています。



家具デザイナーとしてのサーリネンもまた、建築家としての視点と深く結びついていました。
彼は、家具を単独のオブジェとしてではなく、空間全体を構成する要素として捉え、建築と調和するトータルなデザインを目指しました。
彼の家具デザインの多くは、アメリカの家具メーカーであるノル社(Knoll Associates, 現Knoll, Inc.)との協業によって生み出され、ミッドセンチュリーを代表する名作として今日に受け継がれています。
2. 「醜い、混乱させる、落ち着かない世界」からの脱却:チューリップチェアの誕生秘話


「椅子の下は、醜く、混乱していて、落ち着かない世界だ。
私はそれを一掃したかった。私は、脚を再び一つにしたかったのだ。」
この有名な言葉に、サーリネンがチューリップチェア(正式名称:ペデスタル・グループ)をデザインするに至った動機が集約されています。
従来の椅子やテーブルは、座面や天板を支えるために複数の脚を持つのが当たり前でした。
しかしサーリネンは、その無数の脚が床面で絡み合い、視覚的な混乱を生み出していると考えました。



彼は、この「脚の森」を一掃し、よりシンプルで統一感のある、穏やかな空間を作り出すことを目指したのです!
この野心的なビジョンを実現するため、サーリネンは1950年代半ばから、ノル社と共に「一つの脚」を持つ家具シリーズの開発に着手します。
このプロジェクトは「ペデスタル・コレクション(Pedestal Collection)」と名付けられ、アームチェア、サイドアームレスチェア、スツール、そして様々なサイズや形状のテーブル(ダイニングテーブル、コーヒーテーブル、サイドテーブル)を含む、包括的な家具群として構想されました。


サーリネンが目指したのは、単に脚の数を減らすことだけではありませんでした。
彼は、シェル(座面と背もたれ)からペデスタル(一本脚の支柱)、そしてベース(床に接する部分)に至るまで、すべてが滑らかで連続的な一つのフォルムとして統合された、まるで彫刻のような家具を思い描いていました。
それは、パーツが寄せ集められた従来の家具とは一線を画す、全く新しい概念でした。



しかし、この理想を実現する道のりは平坦ではありませんでした。
サーリネンは、納得のいくフォルムと構造を見つけ出すために、無数のスケッチを描き、実物大のクレイモデルを何十体も制作しました。


プロトタイプを作り、強度や安定性を検証し、改良を重ねるという試行錯誤が、実に5年以上の歳月!をかけて続けられたのです。



彼の粘り強い探求心と、それを支えたノル社の技術力が、この革新的なデザインの誕生を可能にしました。
3. チューリップチェアの有機的で未来的なフォルム:視覚的な革命


1957年に発表されたチューリップチェアとそのシリーズは、まさにサーリネンの執念の結晶でした。
そのデザインは、一目見ただけで強烈な印象を与える、独創的で美しいものでした。
デザインの特徴


優雅なシェルの曲線


背もたれから座面にかけての部分(シェル)は、まるでチューリップの花びらが開くような、柔らかく官能的な曲線で構成されています。
身体を優しく包み込むようなフォルムは、見た目の美しさだけでなく、人間工学に基づいた快適な座り心地も提供します。
滑らかに伸びる一本脚
シェルから床へと流れるように伸びる一本のペデスタルは、この椅子の最大の特徴です。
視覚的なノイズを排し、極めてシンプルでありながら力強い存在感を放ちます。
シームレスな一体感
シェル、ペデスタル、そして円形のベースは、まるで一つの素材から削り出されたかのような、継ぎ目のない滑らかな一体感を持っています。
この彫刻的なアプローチが、チューリップチェアに独自の美学を与えています。
回転機能
多くのチューリップチェアには座面が回転する機能が備わっており、機能性とエレガンスを両立させています。
有機的デザインと未来的なビジョン


チューリップチェアのフォルムは、自然界の有機的な形からインスピレーションを得ています。



植物が地面から芽を出し、茎を伸ばし、花を咲かせるような、生命力と成長を感じさせるデザインです。
この有機的なアプローチは、当時の主流であった直線的で硬質なモダニズムとは一線を画し、より人間的で温かみのある空間を生み出しました。



同時に、チューリップチェアは強い未来感も漂わせています。
その滑らかで無駄のないフォルムは、まさに宇宙時代(スペースエイジ)の幕開けと共鳴するものでした。
空間への影響


サーリネンが目論んだ通り、チューリップチェアは空間に革命をもたらしました。
多数の脚が作り出す視覚的な混乱を一掃し、床面をすっきりと見せることで、空間全体に広がりと軽やかさをもたらします。



ダイニングセットとしてチューリップテーブルとチェアを組み合わせれば、その効果はより一層際立ち、まるで家具が宙に浮いているかのような印象さえ与えますよね。
また、そのシンプルで彫刻的なフォルムは、他のデザインの家具や建築とも調和しやすく、様々なインテリアスタイルに取り入れることができます。
4. 素材と技術への挑戦:理想のフォルムを現実にするために


サーリネンの理想とした「一つの脚で、全体が一体となった彫刻のような椅子」を実現するためには、素材と製造技術における大きな挑戦が必要でした。
一体成型プラスチックへの夢と現実


サーリネンが当初思い描いていたのは、シェルから脚部まで全てが一体成型されたプラスチック製の椅子でした。
しかし、1950年代当時のプラスチック成型技術では、十分な強度を持ち、かつ美しい曲線を持つ大きな一体成型の椅子を低コストで量産することは非常に困難でした。
特に、細い一本の脚で全体重を支える構造は、当時のプラスチック素材の限界を超えるものでした。
シェルの素材:ファイバーグラス強化プラスチック(FRP)


シェルの素材として採用されたのは、ガラス繊維で強化されたプラスチック(FRP: Fiberglass Reinforced Plastic)でした。



これは、チャールズ&レイ・イームズ夫妻がシェルチェアの開発で先駆的に使用し、その可能性を切り拓いた素材です。
FRPは、軽量でありながら高い強度を持ち、複雑な三次元曲面を比較的容易に成形できるという利点がありました。
これにより、サーリネンがデザインした身体を包み込むような有機的なシェルのフォルムが実現可能となったのです。
シェルは成形後、ゲルコート塗装で滑らかに仕上げられ、美しい光沢が与えられました。
脚部の素材:アルミニウム鋳造とプラスチックコーティング


一方、一本脚のペデスタルとベース部分には、シェルを確実に支えるための強度と安定性が不可欠でした。



ここで採用されたのが、アルミニウムの鋳造です。
アルミニウムは比較的軽量でありながら強度が高く、鋳造によって滑らかな曲線を持つ複雑な形状を作り出すことができました。
この鋳造されたアルミニウム製の脚部は、表面をプラスチック(当初はリゾルト樹脂、後にポリエステル樹脂)でコーティングすることで、FRP製のシェルとの質感の連続性を持たせ、あたかも一体成型であるかのような視覚的効果を生み出しました。



この異素材をシームレスに見せる工夫は、サーリネンの細部へのこだわりを示しています。
シェルと脚の巧みな接合


シェルと脚部は別々に製造され、最終的にボルトで接合されますが、その接合部分は巧みに隠され、外観からは一体に見えるようにデザインされています。



この「見せないデザイン」も、チューリップチェアの洗練性を高める重要な要素です。
快適性を高めるクッション


シェル単体でも座ることはできますが、より快適な座り心地を提供するために、取り外し可能なクッションが用意されました。
クッションの張り地には、ノル社の豊富なテキスタイルコレクションから、ウール、コットン、レザーなど様々な素材と色が選べ、空間のアクセントとしても機能します。



クッションはシェルにベルクロテープで固定されるシンプルな構造です。
テーブルの多様な天板


ペデスタル・コレクションのテーブルは、その一本脚のベースの美しさを際立たせるために、天板の素材にも多様な選択肢が用意されました。
傷に強くメンテナンスが容易なラミネート、高級感のある大理石(カララマーブル、アラベスカートマーブルなど)、温かみのあるウッド(ウォールナット、オークなど)など、用途や空間の雰囲気に合わせて選ぶことができます。



特に大理石の天板と白いペデスタルベースの組み合わせは、エレガントで時代を超えた美しさを持っています。
製造上の革新とサーリネンの哲学


チューリップチェアの製造は、新しい素材の可能性を追求し、既存の製造プロセスに挑戦する連続でした。
ノル社の技術者たちは、サーリネンの妥協のないビジョンを実現するために、数々の困難を乗り越えなければなりませんでした。
サーリネンは、「素材はその本質に従って使われるべきだ」という哲学を持っていました。
彼は、それぞれの素材が持つ特性を深く理解し、その素材が最も生きる形でデザインに落とし込むことを重視しました。
チューリップチェアにおいて、FRPの成形自由度とアルミニウムの構造的強度を巧みに組み合わせたことは、まさにその哲学の実践と言えるでしょう。
5. チューリップチェアの今日的意義と影響


発表から半世紀以上が経過した現在でも、チューリップチェアはミッドセンチュリーデザインを象徴する不朽のアイコンとして、世界中で愛され続けています。
時代を超えた普遍性


その有機的で彫刻的なフォルムは、特定の時代や流行に左右されない普遍的な美しさを持っています。
ミニマルでクリーンなデザインは、現代の多様なインテリアスタイルにも自然に溶け込みます。
個人邸のダイニングやワークスペースはもちろん、オフィス、レストラン、カフェ、ホテルのロビーなど、パブリックスペースでもその魅力は際立ちます。
後世への影響


サーリネンが提示した「一つの脚」というコンセプトは、その後の家具デザインに大きな影響を与え、同様の構造を持つ製品が数多く生まれました。
また、素材の可能性を追求し、それを美しいフォルムに昇華させるという彼のアプローチは、多くのデザイナーにインスピレーションを与え続けています。
デザイン史における価値


チューリップチェアは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)をはじめとする世界中の主要な美術館に永久収蔵されており、デザイン史におけるその重要性が認められています。
6. まとめ:未来を切り拓いた「一つの脚」


エーロ・サーリネンのチューリップチェアは、単に美しい椅子である以上に、デザイナーの強い意志と革新的な精神が生み出した、一つの芸術作品と言えるでしょう。
「椅子の下のスラムを一掃したい」というシンプルな問題意識から出発し、「一つの脚」という大胆なコンセプトを追求した結果、私たちはかつてないほどエレガントで、軽やかで、そして未来的な座るためのフォルムを手に入れました。
有機的な曲線美、宇宙時代を予感させる先進性、そしてそれを実現するためのファイバーグラスやアルミニウムといった素材への深い洞察と技術的な挑戦。
その全てが完璧に融合したとき、チューリップチェアは生まれました。
それは、日常空間に潜む視覚的な混乱を取り除き、より調和的で美しい世界を創造しようとした、一人の偉大なデザイナーの情熱の証です。
今日、私たちがチューリップチェアに座るとき、あるいはその優美な姿を眺めるとき、エーロ・サーリネンが半世紀以上前に見た未来の断片と、時代を超えて輝き続けるデザインの力を感じ取ることができるはずです。
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